昨日の追加;「傍論」を中心に

thessalonike2氏が今日付けの記事で誤りを繰り返しているので一応念押ししておく.
昨日の記述で専ら山口氏の記述に頼った部分なので,ここでも深くは書かないが…*1


あらかじめ書いておくと,同記事でthessalonike2氏が批判する傍論無効論については,私も結論に於てはほぼ同じ.ただしその論理展開,及び基礎付ける法律解釈等については疑問および同意できない点が多々ある*2
ごく一部だけ触れておくと…

(引用者注:ネット右翼は,大阪高裁判決の違憲判断=「傍論」に)法的拘束力は何もないなどとプロパガンダしている。

これは批判されてる方も批判してる方も間違ってる.
これが最高裁判決(の傍論)について言っているのであれば,結論だけはネット右翼が正しい.少なくても「法的拘束力」という言葉を使っている限りに於ては.
そもそもはおそらく,外国人参政権に関する最高裁判決に対して日本大学・百地章氏が「解説(批判)」した記述が大元だろう*3
若干注意が必要なのは,百地氏は —少なくても上でリンクした文書では*4

「傍論」(判決の結論とは直接関係のない、単なる裁判所の意見表明)にすぎず、判例としての効力を持ちません

と書いている.
注意点は,一般に法律・法学の文脈では「法的拘束力」と判例としての効力では意味が異なり,百地氏は「判決としての効力(拘束力)」とも「法的拘束力」とも書いていない点.
簡単に書いておくと「判決としての効力」が一般に「法的拘束力」と言われ,「主文」のみがこれを持つ.そして,その「拘束」は訴訟の当事者にしか及ばない.これは確定判決であれば,級審を問わず,簡易裁判所から最高裁判所まで同じ.
なお,過去に「主文」に於てなされた憲法判断は1つもなく,今後もなされる可能性はない*5.先日の在外邦人選挙権訴訟でも,「主文」は損害賠償を認めるのみで,公職選挙法の改正を命じているわけでも,その違憲性について確認しているわけでもない.
判例としての効力」の説明は後に譲るが,もう1点重要なのは,百地氏の説明は最高裁について述べたものであること.前述のように「主文」の効力が級審を問わないのに対し,下級審の判決は,「傍論」だろうと「本論」だろうと,「判例としての効力」を持つことはない.最高裁判決で「判例」と言われる部分は「裁判例」と呼ばれて区別され,その「効力」も全くことなる.(後述)
したがって,「判例」と「裁判例」の区別ができていないネット右翼とthessalonike2氏,どちらも間違い.(さらに読み解けば,「主文」「理由」「判例(裁判例)」の区別ができていない可能性すらある.)
「傍論」に「判例としての効力」があるか,そもそも「理由」中の何を「判例(裁判例)」とし,何を「傍論」とするか,という論点,以前の問題.
最高裁判決における「判例」について,その傍論無効論批判は,また長くなったので割愛*6

判決文は判決文だ。

これは確かにその通りで,「判決(文)」は,確定さえすれば,最高裁も下級審も区別されない.前述の通り.

判例として厳然と残る。

これは誤り,残らない.(大阪高裁判決は)「裁判例」として残るに過ぎない.尤も,これは些細な誤用(ではあるが,thessalonike2氏の一連の記述やネット右翼の典型的記述,また加えて読売新聞の小泉靖国訴訟に関する社説を見ていると,単なるタイプミスや不注意ではなく,基礎知識が抜けているコトは伺われる).
むしろ問題は…

この違憲判決は高裁レベルでの靖国参拝違憲判断としては最初のものであり、当然ながら、今後の靖国訴訟の下級審に判例として影響を及ぼす。

との記述.
確かに,中曽根靖国訴訟では「違憲の疑い」「継続すれば違憲」と微妙な表現を採っているので,高裁レベルでの靖国参拝違憲判断としては最初のものではある.
一方で,今後の靖国訴訟の下級審に判例として影響を及ぼす(引用者中:「裁判例」が正解)に対しては,

  • 首相の靖国参拝を高裁レベルでは初めて<私的>とした東京高裁の裁判例も下級審(や他高裁)に影響を及ぼす
  • 憲法判断回避すべしとした高松高裁(裁判例)も下級審(や他高裁)に影響を及ぼす

との批判が容易に成立する.少なく私には,東京・高松の2つと大阪を区別し,いずれかを特に重視/軽視する合理的・法的根拠は思いつかない.(なお,靖国に対する個人の見解により,いずれかを「重視/軽視すべき」とする考え・見解は理解できる.法的にはいずれも等価値というだけの話.)*7
このように,裁判所・裁判官によって判断が異なることが当然のコトとされ,その統一が図られない点こそ「判例」と「裁判例」の差異である.
判例」の変更には最高裁全裁判官(定員15人)で開かれる大法廷での審理が義務づけられ,「判例」と相反することは上告理由となる.これこそが「判例としての効力」であり,「判例としての効力」はこれのみである.そして,「裁判例」や「傍論」はこれを持たない.但し,どこを持って「傍論」とするかは判決の解釈によって見解の分かれる点で,「判例としての効力」を持たない部分が「傍論」と言う方が正確.*8
翻って「裁判例」は,他の同級審や下級審に対して心理的「影響」を及しこそするが,その影響は法よって定められたモノではなく,他の裁判所・判事を何ら拘束しない.
尤も,「判例」ですら上記の「判例としての効力」を以てしても尚,「裁判例」の持つ心理的影響力に毛が生えた程度の影響力しか持たず,下級審を法的には拘束しない.判例に相反する判決も「違法」とはされない.当事者がそれに納得した場合でも無効になったり,強制的に上訴されたりするわけでもない.判例に相反する判決によって不利益を受けても損害賠償は認められない.只,上訴できるのみである.*9

最高裁判所憲法判断をする司法責任を持った裁判所である。

これは別に,最高裁に限らない.あらゆる裁判所が憲法判断をする権利と責任を持つ —これは「判例」.
但し,その「権利」は,特定の者の具体的な法律関係について紛争がある場合にのみ行使できる— これも「判例」.
また,具体的紛争の解決に必要な場合に,必要最小限度でその「権利」を行使すべきとするのが趨勢 —これは「裁判例」(の趨勢)

最高裁が「憲法の番人」であることは中学3年の公民で習う社会の常識である。

thessalonike2氏は中学3年の公民で習うというフレーズがお気に入りのようなので,高校1年生くらいではないかと推測される.昨日リンクした山口氏の記事や,昨日・今日の私の書いた内容は,そして「憲法の番人」の意義と限界は,大学の授業で習う.
入試勉強か法律の勉強,どちらか1つでいいので頑張ることをお勧めする.
(ちなみに,憲法9条自衛隊の関係についてはどのように習いましたか?同じく憲法前文・9条と日米安保の関係については?)

本論?

また「傍論」が長くなった(概ね本論の役割を果たした気もするが)…
さておき,

上告しても「上訴の利益」論で上告が棄却されるからという理由づけは、単に上告断念と違憲判決容認の意義を希釈する方便にすぎない。

岩手靖国訴訟の上告は,「棄却」でなく「却下」されているのだが,違いが分かっているのだろうか…*10
靖国参拝憲法違反であることを確認しろ」という訴えが「訴えの利益」論で却下されるから,そんな理由づけ(方便)で金もうけに走る原告は許容するのだろうか…
憲法違反の疑い」は重大だが,確実に不適法(違法)な行為(=上告)は重大ではないのだろうか…
言い方を変えると,憲法を守りさえすれば,下位の法を守る必要はないのだろうか…繰り返すが,上告は不適法(違法)である.
もはや「既存の法律や判例なんか知ったこっちゃない.オレの思うあるべき法律・司法・政治の姿を述べてるんだ」と言っているようにしか見えない.(であれば別に私がとやかく言うことではない.しかし<事実>と<見解>は明確に区別して記述する必要があるだろう.端的に言うと「べき」という語や「思う」「考える」という語をふんだんにちりばめる<べき>だろう.)

「事実上不可能」と「法的に不可能」とは違う。政府は上告できた。政治的理由で仕方なく断念しただけだ。

「法的に不可能」で気に入らなければ,昨日も書いたように「法的に不適法」*11と言えば納得できるのだろうか.
thessalonike2氏の記述を真似
<「物理的に可能」と「法的に可能」とは違う.政府は上告できた.だが違法行為は「事実上不可能」であり,法を守るために断念したのだ.>
とでもしておく.

「上訴の利益」論で姑息に憲法判断を回避する最高裁の無責任な態度こそ問題なのだ。

この主張は,「司法消極主義」に対する批判としては成立する.しかし,thessalonike2氏の言う「法的に可能」との主張とは矛盾する.
「法的に可能」なものを回避するのは「無責任」ではなく「違法」である.「法的に不可能」だからこそ「無責任」との批判が成立する.


最後に,昨日割愛した文書の導入部分だけ記しておく(やや追加).


「法律」というのはそれ単体で運用されるものではなく,それはある法律の「条文」についても同じ.ウェブや官報で入手した法律文を右手に,国語辞典を左手に用意すれば,小学生にでも理解できるのが法律…というわけにはいかない.
政治も法律も,原則論としては,正に中学3年の公民で教えられる程度にシンプルで,中学3年が理解できる程度に平易であるべきだ.しかし,現状,それは不可能だし,今後も不可能だろう.
民事訴訟法のみを読めば問題なく民事訴訟を行えるわけではなく,同様に312条のみを読めば上告制度について理解できるわけでもない.憲法81条も同様.
他の法律,他の条文はもちろん,法律・条文の解釈を定義した「判例」の知識・理解も必要になる*12.通常,法律家や法学者は「裁判例」も極めて重要視する.
「法学」が学問として成立しthessalonike2氏ご推薦の宮沢俊義氏が「法学」で飯を食えたのも,弁護士を始めとする法律専門職の方々が一般よりも高い所得を得られるのも,単に法律が多いからとか,未だに文語体・旧仮名遣いが多いからではなく,法律およびその運用が斯も複雑だからである.(と言いきると法律家の方はともかく,法学者・法学徒からお叱りを受けるかもしれない…)


素人が口を出してはいけないとは思わない —そう言ってしまえば私も何もいえなくなる— .しかし,専門家の説明には敬意を払い —但し,説明や解説と<見解>との区別は必要— ,最低限,自分なりの解釈をするだけではなく,他の方の解釈,現在の運用を調べなければ,説得力・権威のある文書は書けないだろう.ましてや,独自の解釈を<事実>として書くのは言語道断.
一言で言うと,「便所の落書き」以下.これは,人様の発言(していないコト)について論評する時も同様.
thessalonike2氏は全般に,ご自身の頭の中で世界が完結しているように見受けられる…

追記:hakurikuさんのコメントについて


全く以てその通りです.
後付けの言い訳に見えるかもしれませんが…本項は,—thessalonike2氏やネット右翼による—テンデモ法学*13,その誤りが分からない方を対象としたので,敢えて簡略化しました.(無論,私の不勉強を誤魔化すための方便でもありますが…)


以下,hakurikuさん以外の方に向けての記述.(hakurikuさんに対しては「その通り」以上の言葉はない)

  • 上告と上告受理.その通りです.一般論として上記の理由から簡略化したことに加え,岩手靖国訴訟の経緯の理解を見ていると「却下」と「棄却」の区別すらできていないようだったので,上告と上告受理については注記すら省きました—言い換えるとhakurikuさんのように上告と上告申立の違いが分かる方,また「却下」や「棄却」が分かる方には,本項はそもそも不要であろうとの判断です.
  • 広義の「判例」.その通りです,異論なし・言い訳なし.ちなみに私自身,ブックマークで下級審裁判例「判例」としてタグ付けし,広義に用いています.法律関係の書籍でも単に「判例」で統一されていることも少なくありません.下級審判決について,その内容に合わせて「裁判例」と「判例」とかき分けている本などもあります—例えば「有責配偶者からの離婚請求は棄却できる」という<判例>に対して,何(事実)を以て「有責配偶者」とするかについて級審を問わず各種の<裁判例>が並んでいたり,「有責配偶者の離婚請求を棄却した事例」*14があったり,一般的な死刑の適用基準という「判例」に対し,同じく級審を問わず「◯◯のような悪辣非道なことをしたヤツを死刑(懲役×年/実刑)にした事例」が<裁判例>として並んでいたり,法律解釈を含むか否かを基準にしたり*15含まないかが基準であったり,そもそも「判例」(の意義や効力)について語る場合と単に法を語る為に「判例」を用いる場合で用法を変えたり,著者・書籍によって様々です.
  • (私の言う)狭義の「判例」と(現)民訴法318条1項.これもその通りです.

(hakurikuさん以外の方向けに)若干補足.

第318条1項
上告をすべき裁判所が最高裁判所である場合には、最高裁判所は、原判決に最高裁判所判例(これがない場合にあっては、大審院又は上告裁判所若しくは控訴裁判所である高等裁判所判例)と相反する判断がある事件その他の法令の解釈に関する重要な事項を含むものと認められる事件について、申立てにより、決定で、上告審として事件を受理することができる。
  • 大審院最高裁判所が出来るまえの上告審.明治時代の「判例」も立派な「判例」です.少なくない「(大審院判例」が今でも重要な「判例」としてその威力を発揮しています—それはそれでどうだろうという見方もできますが…
  • 上告裁判所:上告審は一般に最高裁判所ですが,一部の訴訟では高等裁判所が上告審になります〔民訴311条〕.
  • 控訴裁判所である高等裁判所:hakurikuさんの指摘判例」の意義を「先例拘束性を有する」という狭義に限るとしても(中略)大阪高裁判決の当該部分が「判例」であると言うことも不可能ではありませんに対応する部分です.上告審(最高裁大審院・一部高裁)の「判例」がない場合には,控訴審(原則は高裁,一部地裁)判決中の法令解釈が「判例」になる旨を定めています.(この段,いずれも先例拘束性を有するという意味での狭義の「判例」)
  • 318条(1項)は,昨日触れた312条とは異なり,「上告受理申立理由」(要件=必要な条件)を定めた条文です.上告と上告受理申立の違いについては…知ってますか?or興味ありますか?>thessalonike2さん,他

hakurikuさんの指摘に戻って…

  • 「影響力」等.まさに議論が錯綜するのを懸念して,敢えて狭義・狭量に解釈(解説)しました(言い訳と取っておいてください).ネット右翼に蔓延している傍論無効論の論拠・後ろ盾となっていそうな,百地氏・読売新聞の見解に対しては,いつかそのうちちゃんと書こうとは思っていますし,その時にはちゃんと触れると思います.書こうと思っていることや書きかけのものは数限りなくあるので,保障の限りではありませんが…

(これはトラックバックした方がいいのか?トラックバックに馴染みがないので悩み所…相手の記事に言及してるわけじゃないので,個人的に連絡して済ませる.)

*1:読めば読むほど,「民事訴訟法の基礎の基礎の基礎の基礎」くらいからの説明が必要そうに思えて,書きようがないとも言える…

*2:ここ数日,及び今日のタイトル,本文に「傍論」の単語が多いのは,傍論無効論への静かな分かりにくい皮肉の意味も込めている…

*3:ただし,読売新聞も百地氏の「解説」を丸々引き写したとしか思えない社説を過去に書いており,ネット右翼に対する影響は読売の方が大きかったのかもしれない.また,百地氏はテレビ番組でも,しばしば同様の「解説」をしている —同様の解説をする法学者を私は百地氏しか知らない(つまり「(客観的)解説」なのか「(批判を込めた)見解」なのか,個人的な判断は微妙)

*4:同文書を公開している「日本会議」内の「靖国神社Q&A」という文書には,本項で書いた<百地氏擁護>がとても成立しないようなお粗末な記述がある.但し,この文書には百地氏の名前はクレジットされていない.

*5:憲法改正があった場合は当然,法律変更・判例変更によってなされる可能性は,論理的には否定できない.

*6:以前軽く書いた記憶があるが,「傍論」で書いたので何時の記事だったか思い出せない.探すのもメンドくさい.もしかしたら他所で書いたかもしれない.

*7:但し,厳密に言えば,高松高裁の判断は「司法省極主義」として一種確立した裁判例であり,「合理的・法的根拠」が絶無であるかというと,必ずしもそうではないと考える.

*8:そもそも何処までが本論(判例)で何処からが「傍論」にあたるかは極めて難しい問題.ある「判例(判決)」の射程がどこからどこまでか.ある「判決」で示されたのが一般的な法解釈なのか,それともその「判決」に於ける事実認定を基にした極めて狭量な法解釈・適用・運用なのか,見解が分かれることは少なくない.実際,最高裁が「事案が異なる」として一般的と思われた判例を適用しなかったり,訴訟当事者が「事案が異なる」と主張しても否定されることも多い.さらに2点,「傍論」および「傍論に拘力なし」の概念は,「判例法」という日本国とは異なる法体系を採る,英米法に於ける概念である点,および百地氏の記述の起訴となる外国人参政権訴訟判決に於て,百地氏が「傍論」としている,外国人地方参政権を立法裁量とした「尚書き」が「傍論」である点には概ね同意はする点を追記しておく.

*9:ちなみに,裁判所の判決も「処分」〔憲法81条〕として違憲審査の対象となる.

*10:「却下」を不服として抗告審で,抗告が「棄却」されている.その抗告訴訟の争点は,「傍論」 —正確には判決理由文— に於いてなされた,何らの法的拘束力を持たない記述,単に勝訴者が不満に思うのみ記述が(適法な)上告理由になるかという点のみである.これは,仙台高裁がそのような上告を「不適法(違法)」としたからこそ起こった訴訟であり,最高裁はそのような理由を不適法とした.

*11:日本語の文法,及び使用している単語の語彙からすれば単に「不適法」で十分だが

*12:一番分かりやすい例は,例えば「別に法律で定める(場合を除き)」とある法律中にあれば,その「別の法律」を知らなければどうしようない.ある条文の意味・意図を解釈する場合,例えば,外形の似た事項について,または同様の目的を持つA条とB条について,A条には「ただし◯◯の場合を除く」との「但書き」(例外規定)があり,B条には「但書き」がなく「本文」のみであれば,B条に例外はないとの解釈ができるし,そのような考察・類推は必要とされる.そのような考察のうち,法的効力を持つのが「判例」とも言える.

*13:「トンデモ」と形容してもなお,「法学」とするのははばかられる気がしないでもない.

*14:最高裁判決速報で見かけた判決で,具体的にどこかの本で「裁判例」と記されていたのを見た訳ではない.但し(調べてないが))「判例集」には掲載されないのではないかと思われる.そう言えば,「判例集」に掲載されるか否かで「判例」と「裁判例」を分けるタイトな基準もありうる.

*15:これもかなりタイト=狭義