自民党憲法調査会第13回会合

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憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム第13回会合

  • 平成16年4月15日(木)16:00〜17:36
  • 党本部リバティー2・3号室
会議の概要
議題
議論の整理(案)についてフリートーキング
配布資料
  1. 自由民主党憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム議論の整理(案)
  2. 日本国憲法自由民主党憲法調査会憲法改正PT議論の整理(案)対比表
  3. 憲法改正PT第12回会合「会議の概要」
第13回会議の概要は以下のとおり。
事務連絡
(省略)
伊藤公介衆議院議員
まず、1院制、2院制の問題。世界の国々も、数からいうと、はるかに1院制のほうが多い。いま多くの国民の皆さんが、衆議院参議院と2院が本当に必要なのかという議論を持っておられる。もっと議論を深める必要はあるが、衆議院参議院で同じような議論をやる必要があるのだろうか。総理が施政方針演説を衆議院でも参議院でもほとんど同じようにやる。せめてそのぐらいは統一したらということも我々は提案してきたけれども、なかなか実現をしない。いろいろ考えると、むしろ衆議院参議院を両方合わせて1院制にして、もちろんある一定期間、10年間とかいう期間を置いて、むしろ思い切った改革は、まさに1院制にしていくほうがいい。地方の時代といいますが、その知事は、国民から直接選ばれている。小泉内閣は、官邸がいろいろな諮問機関をつくって、むしろ一般の声をそういう形で吸い上げているというようなことで、現在置かれている政治に対する不信みたいなことを考えると、小選挙区にしたけれども、なお国民の政治に対する不満がある。首相公選ということを、思い切って議論を憲法改正という中で踏み込んでいくべき。
桜田義孝衆議院議員
横山ノックみたいなのが総理大臣になったらどうするのかとありますけれども、急に出て、急にやるような場合は危険性がありますが、衆議院議員、あるいは参議院議員として3年でも5年でも働いていれば、そんなに心配は要らないのではないか。今でも日本は、総理大臣は国会議員でなければならないというふうに規定してありますし、民間人でも誰でも立候補させるのではなく、総理大臣は国会議員の中から選ぶという従来の規定を残しておれば大丈夫なのではないか。結果を恐れるあまり、恐れ過ぎてもいけないのではないか。選ばれた以上は、それは日本国民の民度だから、しようがないと思うんですね。日本国民のレベルですから、国民のレベル以上の人間を選ぶことばかり期待していては、民主主義ではないのではないかという気がするので、国民のレベルに合った総理大臣なら、それも、しかるべき手を打った後の結果ならば、やむを得ないのではないか。総理大臣が指名されてから組閣をするまで50日や60日は必要なのではないか。総理の公約をもって道州制をやるんだとか、首相公選をやるんだとか、地方分権をやるんだとか言ったら、それにふさわしい大臣を選んで、その趣旨に賛成する副大臣を選んで、政務官を選んで、業務を執行するという体制を組んでいくべき。
小島敏男衆議院議員
いま平成の大合併ということで、市町村がどんどん合併をしている。そのあとに来るのは、大きい問題として道州制というのが来るわけです。道州制が来るということになると、勢い国の権限を地方にどんどん移譲するという形になると、国会議員の数そのものが150人から200人ぐらいで足りるのではないかという議論もあります。ですから、いま2院制であるのを1院制にするということになると、大議論で、なかなか進まないのではないかと思いますので、現状の修正をしながら、大きくは市町村合併から道州制に移って、その時点で改めてやっていくという形をしないと、憲法改正の中で1院制にするということになると、そこだけでストップしてしまうような気がしますので、この問題については、市町村合併道州制を睨んで、それで大きく変えていくという形がいいのではないか。
船田元衆議院議員
首相公選に対して賛成が桜田さんだけで、あとの皆さんが反対の立場で議論されている。党内でもう少し首相公選制に札が入ってもおかしくはなかったのではないか。私もどちらかというと賛成のほうでございますので、加えて頂けるとありがたい。ただ、議院内閣制と首相公選制は、相入れるのか相入れないのか。しばりをかければ、議院内閣制のもとでの首相公選制というのも不可能ではない。また、国民の政治に対するいい意味の関心を高める意味でも、それを道具、仕組みとして使うということは、非常に重要である。ただ、人気投票にならないという点は非常に大事なポイントである。それともう1つ、財政のところで、例えば財政均衡プライマリーバランスなのかどうかは、これはまたいろいろ議論がありますが、財政均衡憲法の中にきちんと書いておいて、一定の歯止めをかける。財政の均衡、あるいは財政規律というものをきちんとまた書いておかなければいけない。予算の単年度主義についても予算の一部繰り越し、もちろん財源を伴った繰り越しということが一部できるような形。あるいは5ヵ年計画、何ヵ年計画ということで、ある程度の財政の見通しをつける部分がありますけれども、もうちょっと計画的に予算が出せるような仕組みも、やはり予算制度の中で考えておくべき必要がある。
熊代昭彦衆議院議員
「2院制を残すならば参議院にも解散を入れるべきだ」という意見を言った。*1反発も確かに多かったが、いずれにしろそういう意見があったということを……。今のままですと、収拾がつかなくなるということであります。衆議院は解散がありますからいいが、参議院も解散を入れるべきであるという意見は確かにあったわけですので入れておいて頂きたい。首相公選制というのがあまりに少な過ぎる。非常にドラスティックな改革をしなければいけないというときには、首相公選制がいいのかなという思いが致します。一歩一歩前進主義でいいときには、今のままでもいいかもしれませんが、国会議員でなければならないということを入れて首相公選制に賛成の陣営に入れて頂きたい。
中山太郎衆議院憲法調査会会長
首相公選制も立派なご意見だと思います。問題は、首相が政治的な政策的な失敗をした場合、その首相を罷免できる権限が国会にない。首相公選になると直接国民投票ですから、そうなってくると、また国民投票をやらなければならない。首相公選制をやる場合に、首相候補と副首相候補、これがアメリカのように2人ペアで選挙運動に入るということも、政党の次元で考える必要があるのではないか。もう1点は、予算の提出権がいま内閣にありますけれども、アメリカを見た場合に、アメリカは予算教書を大統領が議会に送って、議会が予算の編成をやるという仕組みになっている。一般の法律も、教書を送って、議会が議員立法でやっていくということですから、おのずと国会のスタッフの問題がそれに付随してついてまわるということではないか。そこらの点をしっかり議論して頂いて整理をしておかないと、首相公選は決めたけれども、実際に首相になられた方がどういう政策をやっていくのか。失敗した場合の問題とか、予算の問題、あるいは法案の問題についての国会の機能をどこまで高めてやらなければならないか。こういう問題をセットにしてお考えを頂きたい。
伊藤公介衆議院議員
首相公選については、国会の中でかなり以前から「首相公選制を実現する会」があって、勉強会をずっと積み重ねてきました。国民に選ばれた首相がもし何か問題があったときは、これは大統領制と同じように、弾劾をしてやめさせることはできるという制度も当然つくっていかなければいけない。最近の世論調査では、いま国民の皆さんが憲法改正で最も関心があるのは何かといったら、ダントツで首相公選、30何%でした。その次は、憲法9条だとかそういう関心事が9%。首相公選に対しては、非常に関心が高い。憲法を改正するときに、日本の政治そのものを、国民がもっと近づける政治に私たちは大胆に踏み込んでいくべきだ。勉強会を積み重ねてきたところで1番論点になったのは、実は天皇制の問題。日本の天皇制をきちんと維持しながら首相公選というものを導入していこうと。イスラエルの問題などございましたけれども、物事には失敗することも成功することもあるので、1つの失敗をもって首相公選はだめだという議論にはならないのではないか。
渡海紀三朗衆議院議員
財政規律の問題をきっちりと憲法に書き込む必要がある。その規律の義務というものを立法府に持たせるべきだ。ぜひ財政規律に関する記述というものを憲法に書くということを財政の部分で記録をして頂きたい。あと、国民の権利義務、「非常事態において国民の権利は制限され得ることがある」という項目を入れるべき。非常事態法の根拠規定が憲法にはない。ドイツの基本法では、非常に細かく決めている。あそこまで細かく決めるかどうか、ここは議論のあるところだが、何らかの根拠になる規定をしっかりと憲法に設けて、そのもとでシビリアンコントロールをしっかりして、内閣総理大臣の責任のもとで時に個人の権利というのは制限され得ることがあるという、そういったはっきりした記述を書く必要がある。その2点に加えて、広島の公聴会で、わが党の小田春人岡山県議会議員が大変立派な意見陳述をされました。今後、党がこの憲法調査会並びにプロジェクトチームが、地方の方々の意見を聞く機会というものをこれから是非作って頂きたいと思う。
杉浦正健座長
今の点は、論点整理の段階でも、参議院選挙前に全国幹事長・青年部長会ぐらいやろうかと相談しております。
平沢勝栄衆議院議員
例の地方参政権の問題。最高裁が傍論で余計なことを書くものですから非常に混乱しておりまして、外国人参政権を認めろというような運動がまだあるわけですけれども、15条で、「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」。これは「日本国民」と誰でもが思うわけですけれども、片や93条のほうで、「地方公共団体の長、……は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する」。ここで「住民」となっていますから、じゃ、住民は日本国民ではなくて、そこに住んでいる人であれば外国人でもいいんじゃないかというような議論が往々にしてまかり通りかねないわけでございます。したがって、93条の「地方公共団体の住民」というこの「住民」は、あくまでも「日本国民たる住民」ということをしっかり書いておかないと、また地方参政権の議論が沸騰しかねませんし、裁判所の判断もぐらぐらしかねませんので、このへんはしっかりと書いておいたほうがいいのではないか。
葉梨康弘衆議院議員
前に家族、共同社会、つまり家族の相互扶助の義務みたいなものを義務に書けないかという議論がこの改正PTの中でも相当あったかと思うが、義務として書けるかどうかはわからないけれども、少なくとも前文には書かなければいけない。というのは、今の前文、日本国憲法の現行の前文ですけれども、国民主権と、それから、国際的な平和、国際社会に対する協力ということしか書いてなくて、足元のことが何も書いておりません。日本が家族を大事にする、それから共同社会を大事にするという国家であって、その国家が、諸外国に対しても自国の利益を追求するだけではないというような形での、連続した形での博愛主義といいますか、そういったものは、義務として書けるかどうかというのはまた議論の余地はあるところだと思いますが、少なくとも前文には書かなければいけない。それから2点目ですが、先に出ました1院制、2院制の議論について、どちらかというと私自身は1.5院制論者。道州制でも2つパターンがあって、1つは道州の知事を直接選挙で選ぶパターン、例えばドイツのように道州を連邦みたいな形にして、道州自体を議院内閣制にするというパターンが2つあるだろう。例えば後者の場合、道州が議院内閣制みたいな形になって、しかも道州に相当な権限を移譲した場合には、先ほど小島先生が言われたこととも相通じますけれども、国会が2院制である必要が必ずしもないのではなかろうか。これは道州制との連関の問題として議論をしていかなければいけない。第3点は、首相公選制の話。どちらかというと、私はやはり公選制に反対です。なぜ反対かというと、今までの日本の政治文化、実際的にこれから憲法というものを議論して動かしていくときに、10年後、20年後、30年後ということは別として、例えば数年というスパンを考えたときに、ワークするかどうかということで申し上げているので、その趣旨として公選制自体に絶対反対だといっているわけではないのですが、1つ考えていただきたいことは、どういう形で整理するかという問題ですけれども、今の市町村の議会、それから県議会は、県知事が公選制、市長も公選制。内閣というのはないわけですけれども、そうなりますと、市議会議員とか県議会議員というのは、我々国会議員がずっと役所といろいろな形で政策の勉強をしているのと比べると、相当政策から離れた立場に立たざるを得ない。ですから、首相公選制になったときに、内閣のつくり方をどうするのか。内閣は議院内閣制にするということになると、今度は多数党と少数党との関係も整理が出てきます。首相公選制であれば、かつての明治の最初のように「超然内閣」でいいのだというような話になってしまうと、国会議員というのは一体何をやるのか。そうなりますと、首相府のほうではなくて、今度は国会議員が全部議案提出権を持たなければいけない。そのための前提としては、相当な形での政策スタッフを整備しなければいけない。もし首相公選制ということを導入するとしたら、相当な政治文化の転換というのが要るのではなかろうか。ただし、挑戦してみる課題ではあるだろうとは思いますけれども、そんな印象を持っておりますので、まず、いま議論になっているところをベースにして、道州であっても議院内閣制的なものを持っていったらいいのではないか。
小野晋也衆議院議員
1点、根本的疑問を提起させて頂きますならば、果たして今ここで行われている議論が国民意識の大きな変化に対応できる議論になり得ているのか。さらには、日本の国が置かれている大きな激動の時代の国際情勢の中に置いて、それに対応できるまでの議論になってきているのかというようなところに疑問点がございます。例えば昔は、日本という国は、国というのが中心であるのは当たり前の時代があったと思うんですね。ですから、国家がすべての主権を有していて、国民は、いいにつけても悪いにつけても、国家を中心にして行動するのが当たり前というような意識でございましたが、現在の若者たちを見ていると、国という意識すらも非常に曖昧になってしまって、インターネット上で飛び交う情報、また、テレビをつけたらどこの国の放送が飛び込んできているかもわからないような状態の中で、国家というものをとらえる意識というのが相当変わっているのではなかろうかという思いがございます。ですから、国が前提として憲法というのがあるということではなくて、ひょっとすると、国家とはどういう存在であるかということをきちんと明記をしながら、その中において国民の権利と義務を語ると同時に、人類社会全体というものも展望する中で、人類社会の一員としての権利と責任みたいなことも描くような構成の仕方までもこれからやっていかねばならないのではなかろうか。よく論じられる議論に、人間がコミュニティを意識する範囲というのはどうなのかというと、古い時代から大体移動時間が1時間ということが言われているんですね。ですから、徒歩でしか歩けない時代だったら4キロメートル四方ぐらいが自分の生活圏であり、それが基本的な社会。それが自動車で動けるようになったら、大体40〜50キロぐらいの範囲がそのコミュニティの単位。飛行機で動けるならもっと、情報社会ということになれば世界中があっという間につながるということでいくと、コミュニティのとらえ方がもう既に意識の中に変化しているということなのだろうと思うのです。ですから、国家も所与のものとして存在するのであって、当たり前のものであるから、そのもとで議論しようということではなくて、私たちは日本国憲法を改めるとなるならば、日本国とは一体何ぞやということも明記をする必要があるし、その日本国のもとにおける日本人というのは一体何なのかということもきちんと明記しなければ、若い人たち憲法ということをきちんと理解してくれないのではなかろうかと、こんな気持ちがするところがございます。なお、先ほど来、2院制の議論、首相公選制の議論等ございましたが、あくまで代議制の国会というものを前提にしながら議論をいたしておりますが、ひょっとすると、デジタル家電で、デジタルテレビ、家庭にあるもののボタンを押したら、あっという間に日本全国の国民の意向調査ができるというふうなことを言われるわけでありますから、国民投票の感覚もこれから大きく変わるとすれば、こういう国民投票制度というものも織り込んで、国家の意思決定を行う仕掛けみたいなこともこの議論の中に織り込んでいく必要があるのではなかろうか。
西川京子衆議院議員
先日、『婦人公論』のご依頼で、民主党の女性議員と私とで、女性が語る日本国憲法改正ということで対談してきました。そのときに、彼女が民主党の女性議員全体を代表しているとは思いませんけれど、徹底的に国から少しでも個人に関与されることは一切嫌だという視点の議論です。すべての議論がそこから出てくる。もう国という概念を超えて、世界だと。視野にあるのは国連もありましたけど、そういう視点での話からの議論でした。ですから、それに徹底して反論するような形にどうしてもなるような方向だったのですけれども、そのときに感じたのが、そこにいるマスコミの方々が、司会をする人も含めて、彼女の意見のほうに皆さんがうなずくことが多いし、私の意見はちょっと遮られるとか、そういうものを非常に感じました。ですから、そういう中で、自由民主党として党の保守政党としての思いをきちんと憲法でやっていくというのは、自民党だけでは恐らく成立しないと思いますので、そういう中で、いかに戦略的に自民党保守政党としての思いをきちんと出していくかというのはとても難しいと、正直そういう思いを感じました。私がこの中で議論している感覚で話しましたら、非常に違和感を覚えられまして、びっくりしたんですね。ですから、私は普通だと思っていたけれども、今の日本全体、あるいはマスコミの人たちとの感覚はものすごく違うんだというのを痛感しましたので、そのへんの戦略的なものも含めて憲法の草案づくりはしていかなければいけないなという思いを致しましたので、一言申し上げたいと思います。ただし、絶対に国というのはなくならないと私は思うのですね。ですから、そこに対する国民の思い、そのことだけは絶対に入れてほしい。その根底には、生まれ育った地域に対する人間としての当たり前の愛がある。そこがない憲法はあり得ないと思っています。
谷川秀善参議院議員
国家観が大分変わってくるのではないかなという気がする。しかし、国家観が変わるから余計にしっかり憲法をこの際考えなければいけない。国家観が変わってきたら、極端にいうと、世界連邦だと。だから、国が要らないということになると、憲法も要らないですよね。この議論をしっかりやらないと。若い人は民主党みたいな意見が出てくる。国が要らない、即世界だという流れというのは、ある程度出てくる。イラクを見ていても、結局、国家。国家をどうするかという中で、あれだけもめている。むしろ今こそ1番大事なのは、国家をどうするかということで、もう一遍、我々自由民主党がしっかりと議論をする。まず、憲法の前文ですね。ここに国家なんてないですよ。正直いうと、あの前文を読んでみたら、1番基本になる家庭なんて何にもない。世界が平和ですから、平和でいきましょうと、こう言うだけでしょう。そうすると、国家、要らないです。今の日本の憲法の前文は、私は国家なしの前文だと思っている。あの憲法はどこの国に持っていったって当てはまります。今の日本の憲法はどこの国へ持っていったって当てはまる。即そのまま使える。そういう意味では、そろそろ権利と義務の関係をしっかり――ほとんど義務の関係、何も書いてない。だから、権利も必要だけど、義務も必要だということを書くということと、それに基づいて、首相公選にしたって、2院制の問題も全部絡んでくるんだと思う。ただ、2院制は、今のままだと要らない。今のままなら、私は参議院ですが、むしろ無駄です。同じことをやっているから。ますます政党化していっている。要らない。しかし、2院制は必要だと私は思います。それはどう変えていくのかということだろうと思いますけれども、1番基本は、まず国家観をどうするかということをもうちょっとしっかりこの議論の中で入れて頂いて、前文をしっかり考えれば、おのずから道はそれぞれできてくるのではないか。
熊代昭彦衆議院議員
国会の中で、役人である内閣法制局長官が有権解釈として権威あるもののごとく答弁する。これはおかしい。ですから、憲法の解釈は役人がやったほうがいいというのは昔の考え方であり、総理大臣か官房長官が政治生命を賭けて答弁すべきものであり、内閣法制局長官官房長官に助言すればいい。国会で発言するというのは、役人に言わせたほうが何となく中立的に思うとか、あるいは国会議員は憲法や法律がちゃんと解釈できないという劣等感の裏返しであり、今はそんな時代では全くない。国会の中で内閣法制局長官憲法解釈を権威あるもののごとくするのは、まるでおかしい。これは政治家が政治生命をかけてきちんと答弁して、内閣法制局長官は助言に徹するべきだ。
平沢勝栄衆議院議員
前文の中で、国家観というか、愛国心、これをきちんとうたわないと、どこの国の憲法かわからなくなってしまう。国旗・国歌の法案が出たときに、あるマスコミに出て野党議員と議論したことがある。そのときに野党議員が言ったのは、国旗・国歌は反対である、なぜ反対かというと、国があるから戦争が起こる。国をなくさなければならない。国がなくなれば戦争というのは起こらなくなる。ですから、まず日本から国をなくしましょう。その国の象徴が国旗・国歌である。だから、国旗・国歌には反対だと、一言でいえばこのような議論を展開していまして、とんでもない議論があるものだなと思いました。ですから、まずは、日本国の憲法であるわけで、日本に対する、国に対する思い、愛国心、このへんをしっかりと理念としてうたわないと、それがまた国旗・国歌に対する反対とか、そういったものに全部連鎖的に反応するのではないか。
葉梨康弘衆議院議員
戦後教育を受けた有権者がたくさんいる。投票所に行くか行かないかわからないけれども、その人たちに国家意識、国家意識といった途端にアレルギーを起こすような教育に私たちの世代がどっぷり漬かっちゃっているということを説得する技術が政治ですから、やはり考えていかなければいけない。その意味で、今の憲法は諸外国から見たらほとんど歯止めを失って、危険になっているという非常に逆説的な言い方をさせて頂いた。インドネシアの大使館にいたときに、たくさんの青年海外協力隊の方がインドネシアで真面目に働いている。ところが、彼らが日本に帰って、家の前を掃いているかといったら、道を掃かない。つまり、何となく世界市民主義的なことだけが格好いいという形の教育が今なされていて、足元の同じボランティアをやらない。日本の国内もそう。神戸の震災があれば行く。ナホトカ号があれば行く。マスコミが言うときだけ言って、私たちの意識というのが極めて偽善の社会になっているのではないか。ですから、むしろ国家意識ということでボーンと頭から説得するのではなくて、今の戦後教育の中で育ってきた私たちは極めて偽善の中に生きている。この憲法だって、だから主権在民と言った。それから、国際協力しかうたっていない。日本国内での協力が一切うたわれていないということが、非常に中途半端な若者を育ててしまった。いろいろな説得をするときに、若い世代にもある程度わかるような形で、よりわかりやすい形でいろいろと翻訳をしながら言っていくということを考えていかなければいけないのではないか。
渡海紀三朗衆議院議員
愛国心というのは、考えてみると、心。要するに文字に書いたからといって、それがその国になるというものではない。基本的に国というものはどういうものなのかということをしっかり書くことが大事。国と国民の関係はどういう関係にあるか。国民相互の権利と義務、そういうものはどういうものか。少なくとも憲法において、日本の国においては、実はそういう関係はこういうふうに考えるのが、この国のかたちだということをしっかりと書いていくものであって、その総体として愛国心という心が生まれるような教育なり、国づくりなり、制度なり、そういったものを政治がつくり出していかなければいけない。しかも、日本の国の過去、歴史、伝統、文化、こういったものは、どの国の憲法を見てもそうですが、やっぱり我々が誇りとするようなものをしっかりと前文の中で書いて、この国はどういう国なのだと。しかも、国に対して国民はどうなきゃいけないと。繰り返しになりますが、権利義務はこういうものがある。そして、お互いがお互いの自由を守りながら、お互いの権利を守り合いながら、この国をすばらしい国にしていくのだというのをしっかりと前文で私はうたうべきである。
福島啓史郎参議院議員
このペーパーには、2院制を支持する意見と1院制を支持する意見と、2つしかない。私は、今の段階で決めなくて、見直しの検討をすると。要するに視点は、スピードを重視する、あるいは慎重な審議をする。だから2院制のメリット、デメリットをよく検討する。それから、多様な国民の意見を反映させる仕組みであるべきだ。その場合には、当然*2のことながら選挙制度と密接に関連する。選挙制度との関連で見直すべきだという、要するにどちらでもないというか、見直しの視点を変えた意見があってしかるべきではないか。それから、首相公選制という実質的な大統領制という意味で申し上げたわけで、それを明確にして頂きたい。たしか財政均衡論があった。憲法上書くべきだという意見があったが、それがどうも抜けているのではないか。そのとき申し上げた点は、憲法に書かなくても、むしろ各論としてそういう政策をやっていく。法律等を含めて財政均衡のための政策をとっていくことのほうがむしろ重要だ、憲法に書いたからそれで問題が解決するわけではないということを申し上げた。「課税」のところで、租税法定主義というのは、歴史的にも沿革的にも西欧の歴史、日本の歴史を見ましても、まさに憲法の基本となる部分なので、それをなくすわけにはまいらぬということを申し上げた。日米安保について申し上げたのは、そのときどきの国際情勢の中で、日本が最善の選択をする。最善の選択をできるようにする必要があるということ。日英同盟*3は2回改正して、3回もっている。そういうものを参考にしながら、そのときどきの国際情勢の中で最適の選択ができるようにする必要があるということを申し上げた。集団的自衛権について、解釈の変更ではできないと小泉総理も言っていますし、また、政府見解として出ているわ。したがいまして、集団的自衛権の行使につきましては、私は、憲法改正、つまり憲法改正規定の中で明確に規定すべきだと思います。要するに憲法解釈では無理だ。最後に、憲法改正のところ。憲法改正というのは、学説では、現憲法の基本の部分は改正でできないという学説がある。非常に変な学説だと思います。そうしますと、1回憲法ができると、その基本の部分は永久的なものになるということでございますので、そういう学説及びそれを主張する議員も野党に一部おります。憲法改正の規定は、現憲法の基本的な部分が改正できないという学説がありますけれども、それにこだわる必要はないということを明確にすべきだということを申し上げたいと思います。
熊代昭彦衆議院議員
私なども純粋な六三三制の第1号。だから、結構な年の人間も、国家というのを最初に国ありきとは全然思っていない。国民・国家であり、ネーション・ステートであり、国民があってはじめて国があるので、1人1人の国民を抜きにしての愛国心というのはあり得ないと思っている。それはそういうことで議論していかないと、なかなか難しい。それが正しいと思う。
奥野信亮衆議院議員
各論の議論が多いですが、どういう方向で憲法改正をするのかということを、もう1つみんなのコンセンサスを得る必要があると思う。憲法制定当時の日本の置かれた環境・状況と、今とが基本的に違う。だからこそ憲法を変えるという主張をしないと、本質的な憲法改正というのはでき上がらないんのではないか。当時は、あちこちで戦争がまだ起こるかもしれないというような環境であった。イデオロギー的にも2つの考え方が非常に主流を占めて争っていた。ところが今は、どちらかというと、非常にイデオロギー的にも、ほとんど1本化の方向へ進んでおり、戦争も地域紛争が主体になってきている。それだけ環境が変わった中で、何をベースにして憲法改正をするかというと、グローバルな世界で日本が果たすべき役割は何であって、それを元手にして世界平和に貢献する、世界の繁栄を目指すとなれば、いま皆さん方が考えておられるような方向へ自然と論理は終結してくるような気がする。そ憲法を改正する前提条件というものをもう1回議論しておいたほうがいい。それから、参議院の在り方を考えれば2院制というのが妥当ではないか。
杉浦正健座長
1院制、2院制は十分議論して、例えば2院制でも様々な2院がある。ドイツは、1院制だが、州政府代表により構成される連邦参議院がある。道州制が導入されて、ドイツ的な連邦の参加した参議院ということもあり得るのではないか。今後、大いに議論して頂いて、詰めていくべきことだと思う。
船田元衆議院議員
戦後の憲法に関する教育、国家権力があまりに膨大になってしまう、だから、個人の権利がそれによって侵害される可能性があるので、憲法を定めて、国家権力から個人の権利を守るべきであると。こういう1つの憲法に対する考え方、あるいは憲法を教育するときのバックボーンにずっとあったような感じがします。しかし、これから憲法を改正していこうという考えをやっていくのであれば、そういう考え方ではなくて、国のために個人は何ができるか。ケネディの言葉ではないですが、そういう視点、それから、国があって個人があるのであって、国が個人の権利をきちんと守るというバックボーンをしっかり持った上での憲法の書き方、やはり全体のトーンとして書くべきである。それから、公共の福祉、ある学説、有力な学説によると、公共の福祉というのは、個人の利益と個人の利益がぶつかり合ったときに、それを調整するのが公共の福祉であると。こういうことを突き詰めていくと、国が国益を守るために公共の福祉という言葉を使うと、これは国家権力の横暴であるというふうに批判をされてしまう。そういうケースが過去の学説には多かったが、公共の福祉と考えた場合には、相対的により多くの国民の権利を守るために、1部個人の権利が制限されても、これはやむを得ないということをはっきり憲法の中には書く。解釈でいく場合もあるかもしれませんが、いま公共の福祉というのがあまりにも曖昧すぎますので、公共の福祉とはそういうものだということをやはりきちんと書いておかなければいけない。
小島敏男衆議院議員
衆議院参議院のほうに超党派憲法の調査会ができて、意見合意に向けてみんなが話し合いをしている。憲法改正について民主党の女性議員が、全く違うということを言われたので、憲法改正しようという議論しているときに非常にショックを受けた。国民にとって憲法とは何ぞやということ。戦後、今の憲法をずっと使ってきた。では、今の憲法は何に使われたのかということを検証すると、何か反対するために憲法第何条に反するとか、はっきり言って、それしか使われてない。だから、国民にとって常識、良識、これをベースにしたものをつくらないと。国民のための憲法であるならば、やはり憲法改正なら改正で、議論をしてやっていくべきである。あまり難しいことを言ったらいけない。
早川忠孝衆議院議員
ある程度国家としての理想を高く掲げなければならない。国民とは何ぞや、国土とは何ぞや、国旗あるいは国歌は何ぞやというあたりが、本当は国のかたちを決める上で、本来的にはなければならないのではないか。国のかたちの基本をなす部分を本来は憲法で書くべきである。それが現時点では抜けている。統治機構の1つとしての立法の関係では、2院制か1院制かということ、本来的には、立法機構をどうするかというのは、そんなに大きな論点にすべきではない。司法の関係で言うと、憲法裁判所を置くのか、あるいは特別裁判所は置けないのかといった議論については、これも憲法事項で、あまり議論をしなくても本当はいいのではないだろうか。地方自治については、どちらかというと、今の都道府県と市町村の2層制ということではなくて、例えば道州制であろうと、それ以外の方法であろうと、採用できるような形の地方自治に関する1つの根拠規定をある程度置けばよろしいのではないだろうか。それから、国民の間にいろいろ紛争というか、解釈についていろいろ疑念があるところは、これはぜひとも解決しなければいけないと思います。その意味では、憲法9条の問題とか、憲法20条の問題、あるいは私学助成等に関してのいろいろな解釈が明らかに明文の規定と違っているようなものについて、これはそろそろしっかりしなければいけない。
桜井新参議院議員
少なくとも戦後の教育を受けた人たちの中、あるいはマスコミ社会で大人になってきた皆さんは、世界のことや、あるいは戦前の我々の考え方とは大きなギャップがあると思うので、本当にいいのかというと、結局最後は、人は1人では生まれてもこないし、1人では生きていけない、生きられない。それが人間の社会ですから。そういう中で、今問題になっている年金制度、医療保険制度、社会保障は一体どの範囲で、誰に社会保障の義務を要求するのか。自分の権利を主張した場合、誰がそれを保障するのか。一定の単位がなければできませんね。いくら世界を相手にして言ってみたってしようがないと思う。そういう意味で、国家ということが意識の中になければならない。そういう意味で、国家という意識を小さいときからどう教育して植えつけるか。幾ら法律ができても国民が守らなければしようがない。だから、憲法、法律というものをある程度小さいときに勉強して、最小限度のことは体で覚えるというか、自分の頭の中にきっちり入っていなければだめだ。教育基本法――みんな戦後の教育に失敗したと思っているし、言い合っている。ところが、与党で公明党と出そうといっても、いまだにまだ提案すらできません。そうじゃないですか。それから、党所属衆参両院議員皆さんの意見を聞く場というものも何かの形でつくらなければいけない。運び方とまとめ方を早く決めて、みんなが一緒になってやれるように。みんなの力が借りられるような仕組みの運び方をして頂けませんでしょうか、というのが私の発言です。
保岡興治会長
わかりました。そのことについては、いま杉浦座長とも相談をしているところですが、次回は憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム合同会議とし、事前に資料を党所属全議員に配ります。そして、憲法調査会の役員の方には、特に経過をご説明して、いよいよまとめの段階に入る最後の議論をするからご出席をお願いする。その次はそういうプロセスを踏んで開きます。その上で、あとはクローズして、本来のプロジェクトチームのメンバー、ないし若干加えるとして、まとめに入って、その結果を皆様に叩いて頂く。来週は、全議員に資料を配った上、役員の方にもきちっと経過を説明して、会を開くということでご理解を賜りたいと思います。それから、自民党の国会議員全員で議論するような広がりをどうつくるかについては、皆様方のご意見やお知恵も借りて、座長とも相談をして、幹事長等とも相談して、参議院選挙前に全国政調会長会議、全国幹事長会議が必ずあるはずだから、そこに出して、みんなの意見を聞いた形で最後の取りまとめをしようか、という話をしているところでございます。しかし、参議院選挙前の取りまとめで全部終わりというわけではなくて、参議院選挙後も、来年の秋の草案づくりを目指してどういうふうにやっていくのか。それから、衆参の調査会の最終取りまとめについて、わが党はこう考えると。同じ与党でも公明党とわが党と違う意見をそれぞれ出すことになるので、そういった案の取りまとめにも我々は入らなければならないというプロセスもあります。それから、ご案内のとおり、国民投票法等の手続、あるいは発議をするとして、その受け皿の委員会をどうするか。衆参のポスト調査会ですが、こういった国会の発議機関をどうするかということなどもあわせて検討していかなければいけない。その検討が、さっき申し上げたように、与党の実務者レベルで今国会に法案を出せるのかどうなのかということを検討していきます。5月17日の週あたりには、与党協議会で最終的なめどをきちんと整理しようというふうになっております。そういうことを踏まえて、今後のお力添えをよろしくお願い申し上げます。そもそも論も出ましたけれども、今日の憲法調査会参考人のご意見などを聞いていても、人間と社会の根本論が展開されました。命とは何だろうかとか、人間の幸せ、生きがいというのは普遍的なものなのだろうか、その基礎である命はどうなのだろうか。これはヒトゲノムとか、生命倫理に関することから出発して、社会に関係における個人、共同体としての出発点になる家庭、あるいは親子、兄弟、そういった関係はどうあるべきなのか。それと地域社会から国家社会という枠組み、人類社会という枠組み、こういったものが、人間の社会性とどう関係してくるのか。人間の社会性が健全ではじめて人間も幸せになるということから個人、家族、コミュニティ、国家、世界という関係はどうあるべきなのか。これからの時代に日本は理想を見つめて、そして憲法という最高法規という形でそれを国民生活に反映させるか。そういうそもそものところをよく議論しないといけないな、ということを痛感しております。ですから、そういうことがあってはじめて、また民主党との超党派の、本当の憲法改正論もできるのではないだろうかというふうにも思っております。また、皆様方のお知恵やご意見をお借りして、そういうことをどうやって見極めて憲法条文に反映させるか。今後の大きな課題としてとらえておきたいと思います。
事務連絡
(省略)
(閉会)

*1:原文では「。、」

*2:原文:突然

*3:1902年に締結,05年に第1次改訂,11年に第2次改訂,21年に日米英仏の4ヶ国条約により失効