自民党・憲法改正草案大綱〔2004-11-17〕

事務局案(未定稿・H16.11.17)

自民党憲法改正草案大綱(たたき台)
〜「(おのれ)も他もしあわせ」になるための「共生憲法」を目指して〜

はじめに〜基本的考え方〜

日本国憲法(昭和21年憲法)は,国民主権基本的人権の尊重及び平和主義の三つをその基本的原理としている。この日本国憲法が,我が国の民主主義国家としての戦後の発展の基礎を再構築する上で非常に大きな役割を果たしてきたことについては,今後ともこれを発展維持していくべきであることは,ここで改めて再確認しておく必要がある。

  • 憲法改正を話題にするときに,いまだに見られる「復古的」との誤解を完全に払拭するためにも,また,あくまでも今回の憲法改正が,現行憲法の「発展」であることを明確にするためにも,現行憲法の三つの基本的原理は今後とも堅持すること(厳密に言えば,「平和主義」などについては一部修正を加え提示するので「発展・維持」と表現)を,冒頭で宣言したもの。

しかし,これらの基本的原理が理念として定着する一方で,これを経済発展至上主義や極端な利己主義,偏狭な一国平和主義というように誤解するなどさまざまな歪みが露呈してきていることも事実である。そして,日本国憲法施行後60年近くを経た内外の諸情勢の変化などにかんがみるとき,これからの我が国の進むべき方向性を指し示した新たな国家像を,国家の基本法であり,国民自らが制定する「憲法」の中にこそ盛り込むべきではないか—このことの必要性を痛感する次第である。

  • つまり,この憲法草案作成の基本的な姿勢は,復古的なもの(戦前回帰)ではなくて,徹底的に未来志向の姿勢なのであり,今日までの我が国の歴史を直視した上で,その悪しきを反省し,良きものは後世に伝えていこうというもの(歴史を全否定も全肯定もしないで,素直に歴史に学ぶ姿勢)であることを,ここで改めて強調しておく必要がある。

このようなことを踏まえて,私たちの考える新しい国家像(憲法象)の理念を提示すれば,それは次のようなものである。
まず,第一に,新しい憲法は,日本国憲法の三つの基本的原理を,人類普遍の価値として発展させつつも,我が国のこれまでの歴史,伝統及び文化に根ざした固有の価値,すなわち,人の和を大切にし,相互に助け合い,平和を愛し命を慈しむとともに,美しい国土を含めた自然との共生を大事にする国民性(一言で言えば,それらすべてを包含するという意味での「国柄」)を踏まえたものでなければならない。
そもそも,(a)「個人の尊厳」を究極・最高の価値とする「基本的人権の尊重」の原理は,「みんなのしあわせ」を実現しようという憲法の根本的価値であり,また,(b)戦争のない平和な世界,さらには安心して暮らせる自然・地球環境の保全を含む「平和主義」の原理は,そのための土台である。そして,(c)それを実現するための統治機構の原理が「国民主権」の原理なのであって,これら三つの基本的原理を普通の価値(基礎)として措定した上で,我が国の固有の価値=「国柄」をその応用型として構築することは,「日本の顔」が見える新しい憲法の重要な要素である。新しい憲法においては,このような我が国及び日本人としてのアイデンティティを確認してこそ,真の国際社会から信頼される国家となり,また,真の国際人となることができるのである。

  • 憲法草案の第一のポイントは,我が国の「国柄」を体現した憲法でなければならないことを明記している点である。そこでいう「国柄」とは,従来意味されてきたような復古的なもの(1895年〜1945年までの戦前の一時期に考えられた「国体」)ではなくて,平和を愛し命を慈しむとともに,草木一本にも神が宿るとして自然との共生をも大事にするような平和愛好国家・国民という「国柄」であり,さらに付言すれば,そこにいう歴史には,第二次世界大戦における敗北の歴史も含めたものである。すなわち,戦争から得た貴重な教訓とは,「和の精神」「平和を愛する国民性」を改めて再確認したことであり,新しい憲法は,それを進化・高度化したものということができる。

    そもそも人類普遍の原理とされる憲法の三つの基本原理も,すべて上記のような我が国の「国柄」と調和しこそすれ,矛盾するようなものでは決してないことも,改めて確認しておく必要がある。

  • なお,このような「国柄」を説得力を持って説明するためには,我が国の歴史を概観することも必要かもしれない。①この島国の中で,長い時間をかけて自然と調和し,他人と相和し,平和を愛する国民性が培われてきた歴史,②明治維新後の近代国家としてのキャッチ・アップの国造りの歴史,③敗戦に至る戦争への歴史,④戦後の復興の過程でのキャッチ・アップの歴史,といった具合である。そして,⑤今まさに,激動の時代に突入しているのであり,良きものを残し,反省すべきところは反省して,未来に向かっていこう,というわけである。

第二に,国民の誰もが自ら誇りにし,国際社会から尊敬される「品格ある国家」を目指すということである。それは同時に,科学技術の進歩や少子化・高齢化の発展など新たな課題に適格に対応しつつも,人間の本質である「社会性」が,自立し共生する個人の尊厳を支える「器」であることを踏まえ,過程や共同体が,「公共」の基本をなすものとして位置づけられるものでなければならない。
そもそも,21世紀における現代憲法は,国家と国民を対峙させた権力制限規範というにとどまらず,「国民の利益ひいては国益を護り,増進させるために公私の役割分担を定め,国家と地域社会・国民とがそれぞれに協働しながら共生する社会をつくっていくための,透明性のあるルールの束」としての側面を有することに注目すべきである。
そういう実質を伴った国家・社会を構築してはじめて「品格ある国家」となることができ,国際社会において尊敬され,名誉ある地位を占めることができるのである。

  • 憲法草案の第二のポイントは,謝った個人偏重主義を正すために,「公共(国家や社会)の正しい意味を再確認させること,そして,それが単なる「国家主義」の復活ではなくて,自立し,共生する個人の尊厳に裏付けられた「品格ある国家」でなければならないこと,である。

私たちが目指す,このような新しい憲法を一言で表現するとすれば,それは,「(おのれ)も他もしあわせに」(さらには「自国も他国もしあわせに」)をスローガンとして「共生憲法」ということができる。

[参考]新憲法の構成(イメージ図)

(省略)

  • 第1章「総則」に続けて,我が国の国柄を象徴する「天皇制」を第2章に置いた。あとは,多くの立憲主義国家の憲法の事例にならって,憲法の目的とも言うべき「人権宣言」に当たる条項(第3章)を先にし(同様の趣旨から,第4章・平和主義条項もこれと併せて),それを担保する「統治機構」に関する規定を後に置いてみた(第5〜7章)。以上のいわば「平時」の条項を規定した後に,「非常時」に関する条項(第8章)を置き,最後に,改正条項(第9章)を置く,という構成にした。

前文
  • 上記の「基本的な考え方」をベースに,憲法全体の内容がある程度詰められた段階で,そのエッセンスを要約しながらまとめるのが適当か。

  • なお,その際には子供でも分かる平易で分かりやすい文章とするよう工夫をすることが求められよう。

第1章 総則
  • 三つの基本的原理を発展的に拡充して確認するとともに,我が国の「国柄」を象徴する天皇制を明確に位置付けるために,冒頭に「総則」の規定を設けた。併せて,他国に憲法に例が見られる「領土」や「国旗・国歌」に関する規定なども設けた。

1.象徴天皇制国民主権の原理
  • 我が国は,天皇を象徴とする自由で民主的な国家であり,その主権は,国民に存し,すべての国家権力は国民に由来することを確認すること。
  • 国民は代表者を通じてその主権を行使するという「議会制民主主義」の原則を定めるとともに,すべての国民は,主権者として,自立と共生の精神にのっとり,その権限を行使するものとすること。
(以下,そのうち引用作業予定)

個人的ポイント(ツボ)

  • コメント(注記)部分を読んでいると事務方の苦労がしのばれる*1
  • [前文]子供でも分かる平易で分かりやすい文章憲法(前文)の裁判規範性については各論あるが,子供でも分かる平易で分かりやすい文章は、それだけ解釈の幅に広がりが出ることになる気がする。
平和主義(9条改憲
自民党には絶対受け入れてもらえないであろう提案を一つ。 自衛軍・(集団的)自衛権の明記と併せて,先の大戦*2を「侵略戦争」と —前文あたりで— 明記してしまったらどうだろう。
  • 結局のところ,護憲派(9条護憲派)や中韓(以下,単に「護憲派*3)の —感情論的な— 反発は「改憲で再び日本が(侵略)戦争をする!」というものだろう。
  • 一方で改憲派は,それを否定しつつ,PKO活動などに参加する場合の自衛隊自衛軍)の行動規範の緩和を,より急進的な改憲勢力の場合でも国際協調を前提とした「平和の為の戦争・戦闘*4」への参加・協力を可能にしようとしている程度(のはず,少なくても表面上は)。
  • (加えて小泉氏を始め歴代内閣の公式見解は先の大戦を「侵略戦争」とするか,もしくは口をつぐんではぐらかし,少なくても「自衛戦争」「正義の戦争」とはしていない)
このように考えると,「侵略戦争」を明記することで大きな弊害はない(日本国*5の公的な歴史観を定義してしまうことになるが,仮に世論や歴史解釈が大きく変わったとすれば,改めて改憲すればすむので,「今」問題なければそれでよい)。一方で,改憲大義名分ができるという大きなメリットがある。 つまり,護憲派の(唯一と言っていい)有力な9条改憲反対のロジックは,
  1. (一部勢力は)先の大戦を「自衛戦争」と言っている
  2. 9条改憲案でも侵略戦争は否定している
  3. しかし,先の大戦が「自衛戦争」であるのなら,再び「自衛」の名の下に「侵略戦争」(先の大戦と同様のコト)が行われるおそれがある
  4. よって反対
といったものなので*6,「先の大戦」を「侵略戦争」と定義することで,「先の大戦」と同様な戦争には,歯止めはかけられていることになる(有力なロジックが無効になる)。

*1:おそらく、議員じゃなくて秘書などの政策スタッフ=「事務局」が書いてる

*2:「太平洋戦争」と書くと「自虐史観」と言われそうだし,「大東亜戦争」と書くと「靖国史観」「自賛史観」「愛国史観」などと言われそうだし,「第二次世界大戦」と書くと欧州での戦争(戦闘)まで包含するようで違和感があるので,最も無難そうな表記で…ちなみに「靖国史観」「自賛史観」は完全な造語(「歴史認識」問題にさして興味がなく,書籍・論評などにあまり目を通していないせいもあるかもしれないが,一般で使われているのは見たことがない)。「愛国史観」は,TVタックルで韓国の(国定)教科書を批判してこう呼んでいたので,「自由主義史観」にも「自虐史観」にも汲みしない立場として,そして「自由主義史観」の方々が対立する方々を「自虐史観」と否定的ニュアンスを含む名称で呼称していること(と自称が肯定的であること)をふまえ,敢えて侮蔑的に使っている。個人的なスタンスは,「歴史の専門家じゃないんで,分かりません。一方の全てが正しそうとも,他方の全てが誤ってるとも思えません」

*3:一国の憲法について語る時,中韓に限らず外国に配慮する必要は法律論のレベルでは全くないのだが,政治のレベルでは諸外国に与える印象なども配慮せざるえないのが政治だと思う。また,外国に配慮すべきとの考え方を頭から否定もしない

*4:定義が難しいが個人的には(第1次)湾岸戦争あたりをイメージ

*5:憲法(近代憲法)は,国民が自らの手で直接権力を規定するためのもので,前文はそれをするにあたって,制定権者の国民によって行われる選手宣誓のようなもの。したがって「日本国」ではなく,あくまでも「日本国民」

*6:少なくても私が説得力あると感じるのはこのようなロジックのみ。もう1つ,現憲法下での「解釈改憲」を取り上げ,文言による規制の緩和が現解釈を明文化するものであっても,その緩和された文言が「解釈改憲」によって更に緩和緩和される危惧がある,とするものがある。これは同意・賛同するが,9条以外で解決可能な問題出あり,かつ現憲法の更なる「解釈改憲」を同様に危惧すれば,(9条はともかく)改憲という結論になる。