反日韓国人と日本人による反論:question:1128960118

反日を主張する韓国人と、それに反論する日本人の議論において、なぜ統一の見解が導かれないのでしょうか?合理的に説明してください。

という質問。
回答が徒に長くなり,おまけに他の方の回答と重複すると申し訳ないとおもいつつ,皆さんの回答を読むのがメンドかったので,回答中止*1

「ポイントいりません」と書くのは「じゃあ,回答すんなよ」と個人的には感じるので書きませんが…回答・コメントの流れから,気軽な気持ちで回答させていただきます。ご容赦ください。

何の本で読んだか忘れたのですが「韓国併合(条約)は不当だが,当時の国際法下において適法(合法)」という見解を読んだ記憶があります。
たしか,韓国(政府?)が主導して開催された,国際法学者によるシンポジウムでの結論だったと思います。
※本棚漁ったんですが買った本ではなかったようで,ソースなしですみません(本題の論拠としているわけではないので…)

  • 反日韓国人」は「不当で違法」と考える
  • 「反論日本人」は「正当で合法」と考える

これが「議論」が成立しない一因ではないでしょうか。

  • 両者「違法(適法)」を前提に正当/不当を争うなら,倫理の話になります。(例えば,近代化や当時の朝鮮の実情,国内勢力が論点になるでしょう)
  • 両者「不当(正当)」を前提に適法/違法を争うなら,法律の話です。(条約締結・批准の手続,「威嚇」などが論点になるでしょう)

これらが錯綜しているのが,「統一の見解」以前に,議論すら成立すらしない一因だと思います。
※無論,論点は韓国併合のみではないでしょうが,象徴的な例として


「不当だが適法」を前提に,倫理と法律を衡量するのであれば「倫理が大事」と「適法ならよし」の対立で,これもまた「統一の見解」は導かれないかもしれませんが,少なくても「議論」は成立すると思います。


ただし,そもそも,倫理・法律いずれの論点でも,絶対的に正しい答えがありません。
「不当・適法」を前提にしてすら,法と倫理の衡量に正解はありません。


「政治」には両者が必要で,どなたかがおっしゃられているように,正に「妥協」の産物です。(全員の回答を読んでないです,すみません)
政治の場では「妥協」の結果,一定の「統一の見解」を造り出し,ただしそれのみでなく両者,実利に影響のない範囲で,自身の正当性を主張することで,相手国とのバランス,国内世論とのバランスを採っているのではないでしょうか。(実際,政府主導で行われた日韓共同の歴史研究も,一定の範囲では「統一の見解」が導かれています。)
「妥協」が行われる政治の場ですら,完全な「統一の見解」はなく,これは英仏,印パ,あらゆる隣国が抱える問題ではないでしょうか。


一方で,学者であれネット人 ―実生活での職業・身分はともかくネット上でネット用の人格で言論してる人など― であれ,政治家ではないので「妥協」を目指す必要もなく,利害関係とは離れて自らの正当性(合法性)を主張すれば十分ですから,「合意」「妥協」を最初から目的としていない,自らの正当性を相手に納得させるコトのみが目的になっている。
それが「統一の見解」が<まったく>得られない理由だと思います。
言い方を変えれば「統一の見解」を目標としているのではなく,両者が「自身の見解」への統一を目指している。さらに言い方を変えれば「どっちもどっち」だから…


※「不当・適法」を前提とする日韓両国人が「議論」しているのも寡聞にしてあまり見たことがありませんし,「反日韓国人」や「反論日本人」が相手の言葉に耳を傾けようと,つまり「議論」しようとしているのも見たことがありません。したがって,私の見聞きする範囲では,そもそも「議論」をしていないので「統一の見解」など導かれようもない,とすら感じます。
※「相手をひたすら納得させること(啓蒙すること)」も「議論」に含むとしても… それぞれに愛国心を持ち,人間の本能が自己否定を避けようとする以上,「世界市民」時代になり国・民族・文化への帰属意識・愛着が軽薄になるまで,「統一見解」は生まれないでしょう
※「議論」している方々は,日本語/韓国語を議論可能なレベルで習得されているはずで,その習得の過程である程度相手国の文化・社会風土に触れ,「反日」度や「嫌韓」度が希釈されているでしょう。これらの方々は政治に近い「議論」をしているか,そもそも「反日度」「嫌韓度」が希釈され「議論」の必要を感じないかもしれません。それとも英語かエスペラント語で「議論」してるんですかね?
※強いて言えば,韓国併合を正当・適法と考える日本人と,欧州による植民地主義は当時においては致し方なしと考える韓国人であれば,比較的日本よりの「統一見解」が, 韓国併合を違法・不当と考える韓国人と,欧州植民地主義は不当と考える日本人であれば,逆の「統一見解」が,「議論」によって導き出される余地はあるはずです。それでも導き出されなければ,まさに「自国愛」「自己正当化」という心理的要因が「統一見解」に到らない原因でしょう。
※別例で言うと,自衛隊違憲,9条改正に反対する人と,自衛隊の合憲化を志向する人 ―または現憲法下での集団的自衛権を,または武力行使すら容認する人― が,イラク派兵(の是非・方法)について「統一見解」を持ち得ないように,本質的には「思想・信条の違い」が遠因だと思います。化学・数学のように,いつか正解が見つかるわけではない問題ですから。

短くまとめるつもりが長くなってしまいました。すみません。

いいかげん,簡潔な文章を心がけよう…

*1:URLを何にしようと考えるところまでは行った